天井

気の向いたことをつらつらと書いていきます

【羊と鋼の森】仕事と人生 生き方を考える

 

羊と鋼の森』より抜粋

『するべきことが思いつかなかった。したいこともない。このままなんとか高校を卒業して、なんとか就職口を見つけて、生きていければいい。そう思っていた』

 

この物語は、そんな風に思っていた少年が、調律師として生きていく話である。

 

私、自分の生き方に悩みつつ日々暮らしているテンジョウといいます。

自分の生き方を変える一環として、ブログを始めてみました。

今回は、小説『羊と鋼の森から、仕事と人生について、また生き方について、主人公の外村くんを追いながら、考えてみたいと思います。

 

さて、冒頭の引用文、この文章だけで私はもう、この主人公にすっかり仲間意識を持ってしまいました。今の時代、やれ、自分らしい生き方だとか、仕事にだとか、よく耳にしますが、なんなんだよって話です。やりたいことが分かってる人はそれでいい。けど分かんない人はどうしたらいいんだよって。外村くんもそんな分からない側の人間でした。

 

それなのに、外村くんは唐突に調律師になります。

 

理由気になりますよね。

私も気になりました。

でも、本当に唐突なんです。詳しい説明とか全然ありません。

あるのはきっかけだけ。それは、体育館で板鳥さんの調律を聴いたこと。

『森の匂いがした』

『好きかどうかもわからない。生まれて初めて、今日、ピアノというものを意識したばかりだ』

そこでも、外村くんはこれくらいしか、ピアノとか調律師のことを意識していない。

そして、調律師になる直前にある、調律師になった理由を説明してある文はこれだけ。 

『 同じように山で育っても、ひとり暮らしが性に合う者と合わぬ者がいた。(中略)それらはいいとか悪いとかではなく、自分で選べることでさえなく、ただただ前者であるか、後者であるか、いつのまにか定められてしまうものらしい。僕は調律という森に出会ってしまった。山には帰れない』

すごく裏切られた気持ちです。私の仲間意識返して。

要するに、

やりたいこと見つけました!調律師になります!

ってこと。

 

そして、このブログの結論もそれにつきます。

つまり、

やりたいことを見つけなさい

 

 

 

それが分かんないから困ってるんですよぉー。 

 

このままじゃ納得いきません。物語をもっと読んでみましょう。

 

調律師の学校を卒業し、無事就職も決まった外村くん。しかし、調律師となる本当の道はここからだったのです。

『調律の技術に自信はなかった。厳しい学校を卒業したが、やっと基礎を身に付けただけだ』

調律師がピアノの音階をそろえられるのは最低条件。そこがやっと、調律という深い森の入口なのです。

それなのに外村くんは、音感がいいわけでも、ピアノが弾けるわけでもありません。いやその音階をそろえることすら、あやしくさえあります。

 

けれど外村くん、あきらめずに、あせらずコツコツと、努力し続けます。 

そして、いろんなことを体験していくんです。

この物語はそんな話なんです。

 

そうして、外村くんが調律師になった理由、物語全体にちりばめられながら、きちんと丁寧に説明されていました。

 

次のような場面があります。

この場面からは、外村くんがなぜ調律という森に入ったのかがとても伝わってきます。

『あきらめはしない。ただ、あきらめなければどこまでもいけるわけではないことは、もうわかっていた』

このように 外村くんは、うまく調律ができなくても、全くあきらめるつもりはありません。

『多くのものをあきらめてきたと思う』

『でもつらくはなかった。始めから望んではいないことをいくらとりこぼしてもつらくはない。本当につらいのは、そこにあるのに、望んでいるのに、自分の手には入らないことだ』

調律というものが、本当に外村くんのやりたいことだということが伝わってきます。

そして、調律に出会う前の、やりたいことが何もなかった外村くんの生き方も。

しかし、そんな外村くんにも、少しだけあきらめたくなかったことがありました。

『あきらめようと思えるまでに時間のかかったものが、ひとつだけあった。絵だ』

学校の行事で美術館に行った外村くん、そこで先生に好きな絵を見つけるように言われます。しかし、外村くんは、よく分かりません。きれいだとか、おもしろいとか、なんとなく雰囲気が好きだとか、そんな絵はあるのですが。そんな理由で絵を好きだと言っていいのかと悩み、結局、『絵は、よく分からない』とあきらめてしまいます。

そんな経験、みなさんもないでしょうか?

私はすごく共感できます。

みんなが何で笑ってるのか分からなかったりとか。このマンガ面白いよって言われて読んでもつまんなかったりだとか。演奏会行っても眠くなるだとか。

そしてそういうときって仲間外れな気分になってけっこうつらいんです。だから、私は分かるようになりたかった。そうして私は、いくつかは分かるようになって、けどいくつかはやっぱりわからなくて。けっきょく今でも本当に望んでいることは分からないままです。

外村くんは私とは違います。

『あきらめたことが正解だったと分かったのは、十七歳になってからだ』

『あのとき、高校の体育館で板鳥さんのピアノの調律を目にして、欲しかったのはこれだと一瞬にして分かった。分かりたいけれど無理だろう、などと悠長に考えるようなものなどはどうでもよかった』 

つまり、一瞬にして、これだと言えるものが、あるって言ってるんです。人生には。

分かりたいだとか思わないで、これだと言えるようなものが。

 

 

 

もう一つ、特徴的な場面があります。

それは、先輩の柳さんが調律をしている最中のこと。外村くんは防音カーテンを開けるのですが、柳さんに閉めるように言われてしまいます。

『「でも、もったいないです。開けて弾いた方がいいです」

「わがままだなぁ」』

この「わがまま」という言葉に外村くんはひどく驚きます。いままでの人生で一度も言われたことがなかったからです。そして、嬉しがり、次のように考えます。

『僕は、ほとんどのことに対して、どうでもいいと思ってきた。わがままになる対象が極めて限られていたのだ。

わがままが出るようなときは、もっと自分を信用するといい。わがままを究めるといい』

自分がわがままになるところに、外村くんにとっての「調律」にあたるものが、つまるところ、自分のやりたいことが、見つかるのかもしれません。

 

最後に、 

 『「美しい」も、「正しい」と同じように僕には新しい言葉だった。ピアノに出会うまで、美しいものに気付かずにいた。知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。ただ、知っていることに気付かずにいたのだ』

 そんな美しいものに気付かせてくれるような出会いを願っています。